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【用語や人名についての説明・解説】


■パリ万博

□フランスでは1855年を皮切りに11年毎に、パリで万博が開催された。万国博覧会は国家的プロジェクトとして開催され、博覧会都市として発展したが、パリ万博の特徴のひとつは、芸術が大きく扱われ、展示のなかで重要なセクションを形作っていたことでした。一般に万博は技術文明の祭典として考察されることが多いが、19世紀のパリ万博は芸術、特に美術・工芸の博覧会でもあった。1889年万博にはエッフェル塔建設。

□芳翠が参加したのは1878年に開催された万博です。


■ジェローム

□ジャン・レオン・ジェローム

□1824年生−1904年没 フランスのヴズールに生まれた。パリでドラローシュに学び、1846年に年にサロンへ出品した。新古典派の画風を好む。1855年にパリ万国博覧会で大成功を収めた。1856年にエジプトに旅行して以来、東方風の作品を描く様になる。絵画だけでなく彫刻もこなし、ナポレオンの騎馬像が有名である。1904年にパリで没した。


■合田清

□1862年生−1938年没 江戸生まれ。旧姓は田島。1880年に農学研究を志して渡仏したが、同宿の山本芳翠のすすめでパリのバルバン工房で木口彫(西洋木版)を学ぶ。 1887年帰国。芳翠と生巧館を開設して木口彫を教え、また教科書や新聞の挿絵の版下製作に従う。1896年には白馬会結成に参加。以後30年間、東京美術学校西洋画科でフランス語を講じた。


■画塾生巧館

□1888年に山本芳翠を塾長として創立

□門下生 藤島武二、白滝幾之助、北蓮蔵


■明治美術会

□1889年、浅井忠、小山正太郎、本多錦吉郎ら他7名により創立。国粋主義的風潮により不遇された洋画家が活動舞台を維持するために結成された。上野不忍池畔で第一回展開催。1901年解散。

□創立会員 浅井忠、小山正太郎、松岡寿、松井昇、高橋源吉、本多錦吉郎、長沼守敬

□参加会員 山本芳翠、川村清雄、原田直次郎、五姓田義松、黒田清輝


■黒田清輝

□1866年生−1924年没 鹿児島で生まれた。幼くして上京し、英語やフランス語を勉強した後、1884年にフランスに留学。パリで法律とともに油彩画を習い、特にラファエル・コランの指導を受けて頭角を現し、1893年に帰国した後は、日本に明るい画風による「外光派」を導き入れ、アカデミズムの中心人物となる。日本の正統的なアカデミズムの洋画の創始者。

>>>黒田記念館公式ホームページ


■伊藤博文

□1841年生−1909年没 吉田松陰の松下村塾に学んだ後、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、井上馨、山県有朋らと倒幕運動に奔走した。 明治維新後は新政府の要職を歴任し、1885年には初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法制定の中心人物として活躍するなど、明治を代表する政治家。


■日清・日露両戦争

□日清戦争 1894年7月〜1895年 日本と清との間に行われた朝鮮支配をめぐる戦争。1894年宣戦布告、火力に勝る日本軍は1895年下関講和会議の結果、講和条約を締結。日本は領土と賠償金を得る。

□日露戦争 1904年2月〜1905年9 朝鮮・満州の支配をめぐる日本とロシア帝国の間で戦われた戦争。朝鮮半島・満州(中国東北部)を主戦場とし、1905年にポーツマス講和条約を締結。


■白馬会

□1896年、黒田清輝、久米桂一郎らが明治美術会を退会し結成。明治美術会の官学的作風、官僚的組織に対立。外光派を主流とした作品を発表。白馬会葵橋研究所を設置し若手画家の指導もした。1911年解散。後身の光風会に引き継がれる。

□創立会員 黒田清輝、久米桂一郎、藤島武二、山本芳翠、長原孝太郎、岡田三郎助、和田英作、合田清
□参加会員 小林萬吾、白瀧幾之助、湯浅一郎、青木繁、中沢弘光、北蓮蔵、山本森之助、青山熊治